場外乱闘#0の末尾でご紹介したように、10月31日20:17、私は「場外乱闘」のきっかけとなる、下記の投稿をしました。
投稿をした数時間後、映画祭スタッフのおちさんより、Twitterのリプライという形で、以下のコメントを頂きました。
私はおちさんからのコメントに対して、以下のように返答をしました。(私の返答に対する、おちさんからのさらなる返答も含まれます)。
(映画祭スタッフの事務局(Eメールで)及びスタッフのおちさん(Twitterで)より、音声データの削除を求める連絡を受ける一方で、オープンマイク・イベントの呼びかけ人をされていた、映画監督の纐纈あやさんからも、Eメール、TwitterのDM、YouTubeの公開コメント、電話(私は応答しませんでしたが)で、削除を求められていました。纐纈さんについては、場外乱闘#2で別掲します。)
削除を求めるおちさんに向け、私はさらにTwitter上のリプライで、「削除しない理由」をお伝えしまし、Facebookにも掲載しました。
長文のため、全文表示のスクリーンショット画像が撮れないので、以下にテキストを貼り付けます。
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#しんゆり映画祭 のイベント音声を公開した件については、映画祭事務局および纐纈あや監督とのEメール&DMの他、メインはTwitter上で、映画祭のいちスタッフ(『主戦場』担当者の越智さん)としています。Twitterの方が、公開のやり取りで、より多くの方にこの問題を知っていただき、なおかつ意見をしたければ自由に参加できるからです。
Twitterをされていない方にとっては、そこでどんな意見が交わされているのか見づらいので、10月31日~11月1日までのやり取りを以下に貼り付けます。(長文注意!)
10月31日のやり取り
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>おちさんより
昨日、発言したスタッフです。早川さん、これは完全にルール違反です。即刻削除してください。事前に説明しましたよね?早川さん、さようならURとか好きだったのに、私は残念でたまりません。
>早川
リプライをありがとうございます。ご指摘のように事前の説明は受けていました。ルール違反と言われればそうです。しかし沢山のマスコミ、フリーランスの取材者たちがこのイベントを撮影・録音し、既にテレビでも報道されました。私も公開することで、具体的な損害が生じるということはないと思います。
「映画祭側が決めたルールを無視した」という面での損害・信頼喪失というのはあると言えるかもしれませんが(それを軽視してはない)、上映中止を撤回するために様々な立場の人が声をあげる、情報を出し観て考えてもらうという利益のほうが大きいと思い、事務局にもそのようにメールさせて頂きました。
>おちさん
書いたつもりですが消えてしまっていたので再度。どこで録られているかわからないものが出たことで、職場にばれると怖いとおびえ切って帰ったスタッフがいます。撮る側への信頼を今後も担保できるように、ほんとに削除してください。
いや、ですから、ルールを守ってください。この音声データが全て出ていることで、職場で何かあるかもとおびえているスタッフが既にいます。知らないところで録られてる恐怖心をお察しください。そして、撮る側全体への信頼を損ねないようにしてください。
>早川
すみません、ちょっと疑問なのですが。すでに撮影が多数入っている場所での録音行為なので、全く撮影がない前提の場所での隠し撮りとは異なるのでは。三階のフロアは、スタッフだけでなく一般来場者も含めて、テレビカメラや録音を意識した上で各自発言する場でした。
映画祭のスタッフは、一般来場者に、三階フロアは写されるので、写りたくない・でも質問はしたいという人はマスク等して、全く写りたくない人は階下にいてください、と説明がありました。私はメディア取材同様三階フロアにいました。写りたくない・発言しない階下の人の会話を録音したのではないです。
>おちさん
早川さん、そのやり方で、取材相手の信頼、大丈夫ですか?
>早川
おちさんの考えも読ませていただいて、それでもやっぱり(なんでかなあ?)と、昨夜感じた疑問に似た思いが消えません。一般来場者(私も含め)には写りたくないなら顔をマスクで隠せ、とは言われましたが、音声については何の防御策も言われなかったし発言の際には名前や所属を名乗るように言われました。
映画祭のスタッフの方々で、前に出てきて発言できる人はして、となり、それで発言された人々。それは音声のみならずテレビカメラ等でも記録されていた。そしてその内容は、なぜ映画を上映したいか、どんな気持ちで関わってきたか、ということ。なぜ、職場でその音声や発言が問題になると危惧するのか…
おちさんより、取材相手との信頼関係は大丈夫か?と指摘されてしまいましたが、私には『主戦場』を過剰な懸念により断念した、という萎縮してしまう心理と、どこか似たものを感じてしまうのです。(全く筋違いと怒るかもしれませんが、私は、具体的にどんな発言が職場で問題になるのか?知りたいです)
あと、音声データが「全て」出ているというのも問題視されていましたが、では編集した断片なら良いのか(安全なのか)も疑問です。編集でピンポイントで刺激的な発言だけ取り上げられるのは良くありますが、それに、当該心配するスタッフの方の発言だけ抜き出され、使われる場合もあり得るのだから…。
>おちさん
早川さん、隠し撮りですよね?
隠し撮りされたことにショック受けてるスタッフの心労、想像してください。
今から帰宅です。帰宅中にも電話。それからもまだメールです。自分たちで蒔いた種とは言え、今日の記者会見も受けていろいろやらなきゃな状況です。どうか、お察しください
>早川
メディアには撮影されて良かったけど、同じ発言内容をその場で録音していた人がいたというのが損害で、それにより精神的ショックを受けている、ということでしたら、私はその方々とお会いして話したいです。そんな暇ねーよ!と叱られるかもしれませんが(続)
昨日のイベントで、映画祭、事務局、ボランティアは、どういう立ち位置であるものなのだろう?というのは、最後まで思うところでした。公的役割、素人、ボランティア、市民、様々な言葉がその時々で使い分けられているようにも感じました。
平常時は、市民参加型のお祭りとして楽しさを享受出来ますが、今回のような時に、改めて、映画と観客をつなぐ「映画祭」というのは、なんなのか、スタッフのあり方、構え方はどうなのか、問われると思います。
映画祭のスタッフとして参加した人たちが、皆さんの前で、映画祭についての思いや今回の経緯を自分の言葉で語った音声が、問題視される前にスタッフ自身が問題視してしまう…というのが、どうなのかなあ…と。なんか、同じことばかり繰り返し書いてすみません。でも、私としてはこれに尽きる思いで…。
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以降、現時点でおちさんからは連絡が来ていません。以下のツイートは、私が11月1日に書いたものです。すべて私の発言です。
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お忙しいところすみません。追加でお伝えしたいことがあり、リプライ返信の形で書きます。当初私のツイートにおちさんがリプライをくださったので、そのままリプライの形でやり取りをしていますが、私の書いていることはおちさんだけにお伝えしたいのではなく映画祭全体に向けてお伝えしたいことです。
ずっとおちさん個人にリプライをしている形なので、おちさんがそれを負担に思われているようであれば、それは私の本意ではありません。私がリプライしているからと言って、おちさん個人からの返信を要求しているというわけではありません。
ツイッター上で、一連の発言がまとめて観られるリプライという形式は、やり取りが誰でも見れ、参加もでき、この件の是非を広く共有し考えてもらえるので良いのではないか、と考えているだけです。おちさんは、リプライをしたい場合はもちろんしてください。でも(続)
もし通知が度々届くのが不快なら、おちさんの@をはずす、映画祭のアカウントを@に入れる、もしくは入れない(私の一人リプライ)ということも出来ます(途中から一人リプライに変更するのはやったことがないので、やってみて技術的に不可能な場合は別の方法を考えます)必要であれば言ってください。
映画祭側のルールは、録画・録音は事前に申し込みをしたメディアのみ、とのことですが、その目的は、取材者に事前の申し込みをさせ、映画祭側が取材者の名前や連絡先を把握することで、あいちトリエンナーレの電凸のような、匿名の嫌がらせによる取材・攻撃を防ぐという目的からだと思います。
イベント冒頭、呼びかけ人の大澤さんより、発言者は名前と所属(属性?)を言ってから発言してくださいと説明があったのも、あいちでの匿名によるネット・電話での攻撃を踏まえ、参加者が顔の見える形で発言し有意義な話し合いの場になるようにしたいとの思いからであるとその目的を話されていました。
取材の事前申請&参加者は名前と所属を言って発言するルールが、上記の目的で設けられているとしたら、私は普段から本名で活動し、HPやSNSから、誰でも連絡が取れる状態です。裏垢もないです(あっても問題ないと思いますが)。匿名での嫌がらせの録画・録音を防ぐためなら、私はそれに該当しません。
映画祭は、メディアに対しイベント後の報道内容に口出しをするために事前申し込みをさせているのではないですよね?イベントの様子はすぐにテレビ(NEWS23など)で放映されましたが、その報道素材を放送前に提出させOKを出してから放映させたわけではないですよね?(そんなことがあったら大問題です)
今回の事前申し込みは、事後に報道内容を検閲するために設けられたわけではなく、匿名の嫌がらせを防ぐためのものですから、実名で情報発信をしている私については、その問題(実害)は心配しなくてよいと考えます。
「映画祭が設けたルールを破った」「映画祭の言うことを聞かなかった」ということで、映画祭側に不愉快な思いをさせてしまった(=感情面)はあるのかもしれませんが、ルールによって守ろうとしたもの(匿名による嫌がらせの取材)(=実務・実害面)は、守られていると思います。
映画祭が設けたルールについて、私の考えは以上です。その他の論点については、またのちほど説明させていただきます。
その他の論点についてはまたのちほど説明…と書いてから、ずいぶん時間がたってしまい申し訳ありません。このかん、纐纈あやさんから、YouTubeの音声削除&私のアカウント停止を求めるという旨の連絡を受け、そちらの対応をしておりました。
ご承知のように、YouTubeは表現の自由など全く気にせず、削除や停止の連絡を受けたらすぐに実行する企業です。よって、私は何でもかんでも削除するYouTubeだけでなく、新たに「note」のアカウントを取得し、そちらにも音声データを掲載しました。念のためお知らせいたします(「note」記事はこちら)。
私が申しあげたかったもう一つの論点は、おちさんがリプライで書かれた「この音声データが全て出ていることで、職場で何かあるかもとおびえているスタッフが既にいます」という点についてです。これは、映画祭事務局及びスタッフの「当事者性」とは?という問いでもあります。
イベント当日、3階フロアの一般参加者(私を含む)たちは、映画祭や呼びかけ人から「このフロアにいる人は撮影される」「映りたくなければ下の階に行くか、マスク等をして防御」「発言する際には名前と所属を言う」と説明を受けました。
実際、一般参加者は多数のメディア(20以上はあるように見えました)によって動画または写真撮影・録音され、発言もした人は、名前と所属も記録されました。こういう会に参加して、3階席に座るなら、みんな当然その覚悟でしょ…という映画祭の姿勢だと、私は理解しました。
会場からの質問で、真っ先に挙手したのは高校生でしたよね。私はこういうことは言いたくありませんが(結局自分たちの首を絞めることになるので)、未成年者の撮影は、一般的には保護者の同意が必要とされています。
高校生だと名乗ったうえで発言した彼を、テレビカメラもこぞって撮影しました。「こんな若者も…」と、ニュース映像にはインパクト大です。映画祭や取材陣は、事前に彼の保護者から撮影の許可をもらいましたか?
こういう場合には、保護者の許可などなくても、自分の意志で来場し発言した(撮影もされた)彼を、私も含め、会場にいたほとんどの方々は、素晴らしい!と思ったのではなかったでしたか?
私たち参加者のことは、未成年者も含め、撮られてあたり前で、それが放映されても全く心配しない。しかし、映画祭スタッフは別で、スタッフの発言が公開されることにより、職場で何かがあるかもしれない(しかし、この時点ではまだ何も起こっていない)というのは、二重基準ではないでしょうか?
もし、スタッフは別と考えるならば、それはスタッフの方々が、あのイベントで「当事者」という意識が欠けていた、ということだと思います。あの場にいた人たちは、参加者も呼びかけ人もスタッフも、みな同じ思いと覚悟を共有していたはず(共有しているべき)と、私は思っていたのですが…。
ただ、3階の会場にいたスタッフの中には、単に会場整理や案内係としてその場に配置されていただけで、発言したいことは特にない、というスタッフもいただろうと思います。
イベントの後半で、スタッフからも発言してほしいと呼びかけ人が促した際には、前に出て映っても良いスタッフの人は…とも添えて、呼びかけました。それにより、4~5人の方が前に出て発言されました。よって、発言する気がなく案内係をしているだけというような人は、除外されています。
呼びかけに応じて前に出たスタッフの方々は、もちろんその方たちの発言もすべて撮影・録音されました。前に出てくるタイミングで、「スタッフは撮影しないように」などの注意もありませんでした(そんな注意もおかしいですが)。
なので、前に出て発言したスタッフの方々(=私の録音データにも含まれている方々)は、一般参加者、呼びかけ人、登壇した映画祭事務局、取材メディアと、同様の撮影基準を受け入れ、覚悟の上で前に出てお話をされた…のではないでしょうか? 私の認識違いでしたら指摘していただきたいです。
もし、前に出て発言したスタッフは別、私たちはこのイベントを主催&場所貸ししているだけで、メインの発言は来場者や映画関係者…というならば、それは「当事者性が欠けている」と私は思ってしまいます。
というか、そもそも、映画祭の事務局&スタッフ以外の人たちの話は、目新しい視点はありませんでした。こう書くと語弊があるかもしれませんが、映画祭以外の人たちの話は、基本的に8月のあいちトリエンナーレ以降、ずっと議論されてきた内容を、しんゆり映画祭バージョンに置き換えただけなのです。
なので、今回の話の内容として、実は一番大事で、みんなで知って考えるべきことは、映画祭側の事情と発言なのです。今回、どういう経緯でこのようなことが起こり、内部ではどのようなやり取りがあったのか。
あのイベントは、映画祭が「当事者」でした。「しんゆり映画祭で表現の自由を問う」というタイトルは、「しんゆり映画祭の表現の自由を問う」の方が、イベントの実情に沿っているとさえ思いました。
そのような状況の中で、「発言が知られたら、スタッフは職場でおびえる」と自分たちの発言だけ心配するのは、失礼ながら、当事者としての意識が、この期に及んで欠けているのでは…と思ってしまいました。
また、無編集の「全音源」が公開されたということも問題視されていますが、私を含め映像に関わる者はみな、「編集」の持つ絶大な力と恐ろしさを知っています。編集によって、同じ素材から正反対のメッセージを持つ作品だって作ることが可能です。
一部の発言が、前後の文脈を無視して切り取られ、放送される。ショッキングな場面だけが、好んで報道される。このような報道被害はよく耳にします。編集者の見る目がしっかりしていないと、事実がだいぶ違った報道になってしまいます。
映画祭は、事前の取材申し込みがあったかどうかだけを、撮影・録音し公開することができる人の、判断基準にされていますが、編集者がこの問題をどのように理解できているか、しっかりと事実を伝える力があるかまでは、見ていない(分からない)ですよね。
とはいえ、物事を見る目があるかを、他者が判断するというのもまた、不可能に近いことです。映画と同じで、傑作or駄作の判断は、受け手の好みによる部分も大きいからです。なので、物事をしっかり見る目があるかを判断基準とする…というのはできないし、それはそれで危険なのでしない方が良いです。
話が少しずれてしまいましたが、要は、編集した素材よりも、無編集の素材の方が、編集者の(良くも悪くも)意図が反映されないので、情報の受け手にとってはそれが一番良い素材だと私は考えます。
ただし、長期取材のドキュメンタリーでは、数百時間の撮影素材を他人に見てもらうことは不可能ですから、編集者である私たちは、上述の編集の力・怖さを認識したうえで、編集作業を恐る恐るしています。
「無編集」の価値について、私はそのように考えています。
そして、仮に「編集」したとしても、それが、今回のイベントにとって一番の要である、映画祭事務局とスタッフの方々の発言だけを切り取って見せたなら、職場での不安はやはり消えないし、むしろ短く編集されて目立ってしまうので、いずれにせよ「削除せよ!」と言われたのではないかなぁと想像します。
私の方で、ご説明させていただきたかったことは、以上です。深夜の大量投稿、大変失礼いたしました。
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(上記投稿に対するFacebookコメントは、こちらよりご覧いただけます。)
次の場外乱闘#2では、映画監督・纐纈あやさんから、当該音声データの削除のみならず、「プライバシーの侵害」「YouTubeアカウントの停止」を求められている件についてご紹介します。
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