『インド日記』は、私がこれまでに制作・発売したDVDの中で、かなり異色の作品だ。まずは、ビデオダイアリーという形式をとっていること。普段、私は何らかの「テーマ」(反戦運動、原発問題、住宅問題など)に基づいて、そのテーマが一番よく伝わるように作品を組み立てる。しかし、『インド日記』については、完全に・単純に時系列で、私が人と出会い、交流していく様子を描いている。
脈絡のない、行き当たりばったりの旅行記とも言えるが、それでも全体を見渡してみると、貫くテーマは見えてくる。それは、タイトルの副題にもあるように、インドで出会った女性たちの、しなやかな強さとつながる力である。
もともとインドに行くきっかけが、女性映画祭での上映だったこともあり、アジアの女性監督たちに会う機会に多く恵まれた。特に、インド、イラン、ミャンマーのドキュメンタリー監督たちと意気投合して、彼女たちの母国での活動について知ることができた。
日本の状況が恵まれているとは全く思わないけれど(むしろ日本の「自主規制」マインドは、政府の介入以上に深刻だと思う)、それでも、あらゆる映像制作(撮影から公開まで)に政府の許可が必要だというイランの状況、女性の外出さえ許されない地域があるというインドの状況などを聞くにつれ、彼女たちが想像も絶するほどの努力とリスクを背負って、映画を作り続けているのだということが分かった。
しかし、目の前で明るく笑う彼女たちの姿は、驚くほど「普通」である。彼女たちの一体どこに、とんでもないパワーが秘められているのだろうか? その「問い」は、私がインドに滞在中、出会う女性たちすべてに感じていたことだ。「このパワーはどこから?」・・・と。この『インド日記』は、彼女たちの強さの「源」をたどる旅でもある。
インドの(一部の)女性たちが置かれている立場について、象徴するような写真をもらった。以下の写真は、露天商などの貧しい女性たちの組合「SEWA」で、写真のワークショップを行った時の様子。中央の女性は、写真を撮るときにもすっぽりとベールをかぶったままだ。普通写真を撮るときは、盗撮でもない限り、視界を良くして撮影するのが当たり前だろう。ベールをかぶったまま写真を撮るなんて、「眼鏡をかけたまま顔を洗う」、「マスクを着けたままお酒を飲む」のと同じくらい、まず、やらないことである。しかし、普段から人前ではベールをかぶらないといけない慣習で生きていれば、もちろん写真を撮るときだって、かぶったまま撮るのは当たり前なのだろう。
(Photo by Aruna Haribhai Parmar)
しかしこの彼女でさえも、「外出」できるだけまだ、「自由」な生活を送っていると言える。そう考えるとますます、ビデオSEWAのメンバーの女性たちが、読み書きのできない露天商という状態から映像制作を学び、カメラを持って外に出て、露天商の女性たちの権利を訴えるために最高裁の法廷で争う・・・こういった彼女たちの活動の歴史が、どれだけ過酷な状況の中で行われてきたのかが想像できる。
実際、ビデオSEWAの創設者・Leela Dantaniさんは、インドで偉業を成し遂げた人々を称える「Limca Book of Records」にも、その功績を認められ登録されている。『インド日記』に収録されているLeelaさんのインタビューは、インドの最底辺で生きてきた女性たちの歴史そのものだ。
日本語版は販売を開始したが、英語版はまだ字幕を付けている最中で、完成していない。早く仕上げ、実際にこの作品に登場した女性たちにも届けたいと思っている。