これまでの数回のブログで、反原発美術館が静岡・ひまわり集会で再建展示をされたことについての、報告レポートを書きました。
レポートを書くにあたり、集会当日、テント内で開催されていた井上めぐみさんの写真展、「福島の涙はわたしたちの涙~あれから7年~」について、後日、井上さんにいくつかの質問をしていました。
美術館テント内で展示した写真は、井上さん自身が撮影したものがほとんどですが、中には、他の人が撮影し井上さんに提供した写真もあるので、それらの撮影者名や、提供の経緯などについてお聞きしたのです。
写真展で展示された写真は全て、どれも大きなメッセージを持って見る側に問いかけてくるものばかりですが、その中でもぜひ皆さんに知っていただきたい写真があり、別記事として紹介させてもらうことにしました。
写真展で展示された、飯舘村小宮地区の老犬・チビの写真。2013年元旦に、福島県郡山市在住の日比輝雄さんによって撮影されました。
この写真を撮影した日比さんは、もとは長年神戸に暮らしていました。阪神大震災で被災した際には、全国各地からのボランティアに助けてもらったそうです。
その時の経験から、東日本大震災が起きたとき、計画的避難区域となって全村民が避難した飯舘村に神戸から通い、村に取り残された飼い犬・飼い猫たちの給餌ボランティアを始めました。
2012年8月には、奥さまと共に神戸から郡山に移住し、給餌ボランティア活動に専念。活動の様子を伝えるブログの「飯舘村訪問日記」は、今日までに1,572回にもなります。(飯舘村の状況や日比さんの活動が紹介された記事は、こちらをご覧ください⇒JAF Mate Park 2014年3月号「特集:被災地は今。」:飯館村ワンニャン給餌ボランティア=福島県飯館村周辺 被災地に残された命をつなぐ)。
先に紹介した写真の老犬チビに、日比さんが初めて出会ったのは、2012年9月のことでした(飯舘村訪問日記#15)。最初は(盲犬なのではないか?)と疑ったほど、チビは衰弱していたそうです。この日以来、日比さんはチビを気にかけ頻繁に通うようになり、毎回のブログに登場するようになりました。
初めて出会ったときのチビ。
2012年11月、日比さんがいつものようにチビを訪ねると、なんと、初めて見る子猫がいました。いつの間にか居つくようになったその子猫(のちにレオと命名)は、厳しい環境の中で、チビと寄り添うように生きていました(飯舘村訪問日記#49)。
写真展で展示された冒頭の写真(再掲)は、2013年元旦のブログに掲載された写真でした(飯舘村訪問日記#78)。うっすら雪化粧の飯舘村で、子猫レオと共に餌を食べるチビの写真も。
井上めぐみさんが初めてチビに出会ったのは、2013年4月。ACOさんと共に、日比さんの給餌行動に参加した時のことでした(飯舘村訪問日記#148)。
2013年7月7日。毎日通う日比さんのケアにより、見違えるほど毛並みの良くなったチビ(飯舘村訪問日記#207)。
ブラッシングをしてもらって、気持ちよさそう(^^)!
すっかり大きくなったレオ。
2013年7月15日(飯舘村訪問日記#213)。家の敷地からは出ないはずの、チビの姿が見えません。これは何かあったに違いないと、日比さんは飼い主さんに電話し、家の周辺を必死に探しました。
背丈ほどに雑草が伸びた、かつての田んぼ(畑?)の隙間から、わずかな茶色が目に入りました。チビです!
草むらの中で、四つん這いになって動けなくなっていたチビは、明け方の雨で体が濡れていました。田んぼに落ちたのか、それとも自ら入っていったのかは分かりませんが、水入れはカラで、軽い脱水症状を引き起こしているような状態です。
支えられると立ち上がるも、すぐにへたってしまいます。
へたった姿勢のまま、大量に水を飲むチビ。
それから3日後(飯舘村訪問日記#216)。日比さんがチビを訪ねると、飼い主さんご夫妻が、チビを係留していました。
3日前に田んぼで動けなくなっていたチビは、その後、日比さんが訪問するたびに、徘徊し田んぼで見つかるようになってしまいました。飼い主さんは、係留も含め、何か対策を講じなければ…と考えたそうです。
そのうえ、天皇陛下夫妻の飯舘村行幸啓を数日後に控え、村より、すべての犬を係留するようにとの指導もあり、やむなくチビを係留したとのこと。
これまで放し飼いで、係留されるのはおそらく初めてだったであろうチビ。さかんに首を振り、ふらついていました。
慣れない係留を心配して、翌日、日比さんがチビを訪ねると、普段はめったに啼かないチビの、力のないうめき声が聞こえてきました(飯舘村訪問日記#217)。
異変を感じた日比さんが駆け寄ると、係留ロープがぐるぐる巻きになって短くなっており、足腰の弱い老犬チビは、動けなくなっていました。
もつれたロープと、努力してもがいたのであろう、周囲に散乱した体毛。
日比さんはチビを抱き上げ、小屋の中で休ませますが、すっかり疲れ切ったチビの荒い息は、なかなか収まりませんでした。飼い主さんに連絡をして、来てもらうことに。
チビは、駆け付けた飼い主さんに看病してもらいつつも、その4日後、2013年7月22日に亡くなってしまいました。
それは奇しくも、天皇陛下夫妻の飯舘村行幸啓の日でした。
日比さんによれば、チビは、大好きだったお父さんとお母さんに見守られながら、最後に一声啼いて、静かに息を引き取ったそうです(飯舘村訪問日記#219)。
日比さんと共に飯舘村の給餌ボランティア活動をされている、日比さんのお連れ合い様のブログにも、チビの最期の様子が綴られています。
原発事故によって、突然飼い主と引き離された老犬・チビ。
飯舘村の過酷な自然環境の中で、子猫レオと、身を寄せ合って生きてきた。
徘徊と天皇陛下夫妻の行幸啓により、係留されもがいた末に息絶えた。。。
井上さんの写真展を通して、初めてチビと「出会った」私は、この懸命に生きた老犬・チビを忘れたくない、と思いました。
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ところで、チビと共に暮らしていた子猫・レオは、その後どうなったのでしょうか?
日比さんは、チビのお父さん・お母さんに確認後、レオを捕獲し、郡山の被災猫シェルター「福猫舎(ふくねこや)」に預けることにしました(飯舘村訪問日記#220)。
日比さんが捕獲器を仕掛けるのを、じっと見つめるレオ。
捕獲器に収まったレオ。
2013年3月11日に設立された「福猫舎」は、その後数年間の活動の中で、たった一人の管理人で100匹を超える猫を預かり、飼育崩壊しているらしいという噂が流れていました。福猫舎の周辺では、近隣住民や自治会から、ゴミや異臭についての苦情も寄せられていました。
2013年7月に、福猫舎にレオを預けた日比さんは、その後レオを返してもらいたいと、管理人に何度も訴えていましたが、その願いが聞き入れられることはありませんでした。
それから約5年半後の、2019年2月22日―
井上めぐみさん含む、福猫舎に預けられている猫たちの状況を心配した十数名の人々が、福猫舎を電撃訪問しました。心配されていた通り、施設の周辺には、整理しきれない支援物資が山積みとなって傷み、施設内部は糞尿にまみれていました。
福猫舎に立ち入ったひとり、マメKさんのブログに、状況が詳しく報告されています。
以下、いくつかの記事のリンクをご紹介します:
・福猫舎あぶくまシェルター 衛生環境改善活動の報告 カーポート編
・今回の福猫舎清掃関連での寄付金は集めません!! 外回り番外編
・福猫舎あぶくまシェルター 衛生環境改善活動の報告 建物1階編 2
素人目に見ても、(これはひどい!)と思うような衛生状態。こんな状況の中で、5年半もレオは…
母猫の愛情も、飼い主の愛情も知らず、過酷な自然環境の飯舘村で、老犬チビと共に生き抜いたレオは、預けられた福猫舎で、今度は5年半にも及ぶネグレクト…
福猫舎から救出され、現在は日比さんのお宅で保護されているものの、猫生にとって短くない5年半という歳月は、レオをすっかり変えてしまいました。ケージの中に籠城し、出てこようとしない。人間不信で飲まず、食べず。誰もいなくなった夜間に、そっとケージから出てうろうろ。。。
心を閉ざしたレオを、見守り、辛抱強くお世話をする日比さんご夫妻。レオの日々の様子と少しずつの変化を、ツイッター( #レオ家猫修行中 )で報告しています。
過酷な運命に翻弄され続けてきたレオ。今度こそ幸せになってほしい。そして、チビの分も生きてほしい。
そう願わずにはいられません。
(※このブログ記事を書くにあたり、井上めぐみさん、日比輝雄さんに大変お世話になりました。この場を借りてお礼申し上げます。)