これまでこのブログでお伝えしていますように、現在は、撮影した映像素材を見返す日々です。ディスク番号、フォルダ名、ファイル名、タイムコードを記しながら、各映像に、誰が映り、何をしていて、どんなことを話しているか、そして、その映像を本編で使うか、使う場合のアイデアや注意点は…などを、出来るだけ細かくノートに書いています。
上記の作業は、基本的には、映画の編集作業のために行っているものですが、同時に、自分の撮影について、じっくりと確認し、厳しく採点する行為でもあります。例えば、基本中の基本として、カメラを水平に構えているか(傾いた画面ほど気持ちの悪いものはありません)、音声がきちんと録れているか、ピントがぼけていないか、バランスの取れた(もしくはメリハリのある)構図になっているか、被写体との距離は適切か…といった、撮影の技術的な部分に関して、きちんとできているかを確認します。知らない間に身についてしまった、撮影時の変なクセなども、気がついたら(目障りに感じたら)、それらも詳しくメモをします。
撮影技術の他に、取材方法についても詳しく見ていきます。例えば、インタビュー時の質問の内容や流れは適切か。相手の話を遮って、自分が話していないか。自分が事前に用意した質問項目に囚われるあまり、相手の回答で、さらに掘り下げたら面白い部分を飛ばしていないか。会話時の相手の微妙な表情の変化に気がついていたか…等々、見るべきポイントは沢山あります。
撮影時はなんだかんだ、テンパっていて、「撮っている」だけで満足(精一杯)なところがあります。質問に対して答えてもらっているか(前置きや例え話が長すぎて、肝心な質問の答えをしていないという場合が良くあります^^;)、バッテリーの残量は大丈夫か、被写体が動いてフレームから消えていないか、インタビュー時間に制限がある人の場合(次の予定がある等)、まだ時間は大丈夫か…などなど、撮影時に気をつけるべきことが沢山あるため、相手のわずかな表情の変化までは、まったく気づかない場合があるのです。
今、こうして撮影した映像を見返していると、当時の自分の思い(思惑)と、撮られる側の対応(反応)が分かり、びっくりしたり、反省したり、納得したり、画面に向かって「なぜそこで次の質問に行く!!」と叫んだり…、日々、騒がしく編集作業をしています(^^;)
以前、「ザ・ノンフィクション」の編集室に遊びに行った際、ディレクターと雑談をしていて、「編集に立ち会わないカメラマンは上達しないんだよ」と言われました。その当時は、(へぇ~)ぐらいにしか思わなかったのですが、今、こうして編集作業のために自分の撮影結果を詳しく見返していると、(なるほど、撮りっぱなしでは、どれだけ撮っても上達しないだろうな!)と思います。
ところで、インタビューは別として、何気ない日常生活を撮影する場合、自分がなぜそのタイミングでカメラを回し始めたのか、何を撮ろうとしたのかというのが、ほんと、手に取るように分かるのです。それは、面白くもあり、恥ずかしくもあるのですが。
今日、見返していた映像の中で、自分が何を撮ろうとしていたかが良く分かる映像があったので、ご紹介します。以前このブログで、「ゲームとスポーツは撮らない」と書きましたが(その時の記事はこちら)、この映像では将棋をする様子を撮影しています。
私は将棋のルールが分からないので、将棋には興味がないのですが、森さんと井田さんがとてもやりにくそうな姿勢で将棋を指す姿・構図が面白く、カメラを回し始めたのでした。
私が撮影を始めてしばらくすると、井田さんが、りべるたんの床に転がっていた「前進」を、おもむろに将棋盤の前に置きました。私のカメラに写り込むように、わざと置いたのです。「前進をさりげなく置く」というのが、果たして、撮影への協力(サービス)なのか妨害なのか、絶妙なところで面白いと思い、私は「前進+将棋盤」という構図で、嬉々として撮影をしていました(^^)
その時の様子を撮影した動画はこちらです。
こうしてみると、「撮る」には、なんらかの、意識的・無意識的な「意図」があるんだなぁと、つくづく思います。撮影素材をじっくり見返すことで、無意識でやっていた部分にも、意識を向けられるようになりたいです。
私のような小規模(1人なんだから最小単位ですね^^;)の制作者は、必然的に撮影も編集も自分でやるしかありませんが、もっと大きな組織で「撮影だけ」「編集だけ」と役割分担をする場合でも、撮影しっぱなしではなく、編集作業にも立ち会った方が、撮影技術が上達しますね!
以上、本日の制作日誌でした(^^)/