現在暮らしている場所は、都内まで出かけるのに時間がかかるので、出かける時にはいくつかの用事を組むことが多いです。この日は夜から、渋谷男女平等・ダイバーシティセンターで『インド日記』の上映会がありましたが、私は午前中には家を出て東中野に向かいました。
ちょうどこの日から始まった、「福島映像祭」。私は、市民部門上映&トーク「わたしが伝える福島」を見ようと、ポレポレ東中野に向かったのでした。レイバーネットでも活躍する、映画監督(給食調理員でもあります!)の堀切さとみさんの最新作、『原発の町を追われて3 双葉町・ある牛飼いの記録』を観たかったからです。
タイトルに「3」と入っていることからも分かるように、同タイトルで第3作目の作品。同じテーマで第二弾、第三弾…と作るのは、私はこれまでにやったことがありません。時々「続編は?」などと聞かれることがありますが、同じテーマで続編を作るのは、とてもハードルが高いと私は感じます。特に撮影期間が長期にわたるものに関しては、作品完成時に自分としては(すべて出し切った、やりきった)と思うわけなので、それをさらに超えるもの(=続編)というのは、気力&体力ともにハードだなぁ・・・と思うからです。
もちろん作品が完成した後も、その作品に登場してくれた人たち&関わってくれた人たちとは、その後もずっと付き合いがあります。それは初監督作から最新作に至るまで同様です(ただし、付き合いの濃淡は人によってバラツキがありますが^^;)。でも、「作品を作る」意気込みでかかわり続けるのは、私も、撮られる側も、大変ではないかな?と思うのです。(撮影者としての私の関わり方や熱意・巻き込み方は、相手側の負担も大きいと思います^^;)
そんなわけで、私はいまだに続編を作ったことも、作ろうとしたこともないので、私とほぼ同じ時期に映像制作を始めた堀切さんが、同じテーマや登場人物で第3作目まで作られているのを、本当にすごいなぁと感心します。
堀切さんの作品を楽しみに会場に向かった私でしたが、市民部門に入選した他の2作品も、それぞれの個性が際立っていて、とても面白かったです。
■「私が見た・・・福島」(2017年/10分/制作:米田博さん)
(あらすじ)2015年の7月に福島へ足を運び、2年間、撮りためた写真をスライドショーにまとめた。極私的な視点で切り取られた福島の風景を、トークを交えながら紹介する。
なんと、中古の安いデジカメで撮った写真を、スマホの有料アプリ(600円)で編集した作品なのだそう!! 大画面で見ても、全く遜色なく、本当にすごい時代が到来したんだなと思いました。誰でも撮れ、スマホで編集できる、それが大画面での上映にも耐えうる・・・。福島映像祭の「市民部門」にふさわしい、市民が使えるツールだけで完成した作品でした。
最低限のテロップと写真、そして音楽のみ(後半に少し音声が被せてある)で構成されていますが、淡々と時系列で映し出される写真を見続けることにより、訴えてくるものがあります。しかし、上映後の質疑応答で登場した制作者の米田さんは、他人に見せたいという欲がなく、これは自分のために撮った極私的なもの、と言いました。謙遜しているのかと思えばそうではなく、鹿児島から福島へ通い始めた当時は、ある政治家の秘書をしていて、精神的に参ってウツなってしまい、苦しくて福島に行き、ひたすら写真を撮っていたのだそうです・・・! だから写真を撮ったのは自分のため、と。
■「原発の町を追われて3 双葉町・ある牛飼いの記録」(2017年/25分/制作:堀切さとみさん)
(あらすじ)福島第一原発が立地する町から全国に避難した双葉町民。避難先で自立して生きようとしても、差別は容赦なく降り注ぐ。それでも新たな一歩を踏み出す、ひとりの牛飼い、鵜沼久江さんの姿を追った。
事前にいただいた堀切さんからのメールには、今作は、大久保千津奈さんに撮影に加わってもらったと書いてありました。大久保さんと言えば、『祝の島』、『ある精肉店のはなし』、『戦場ぬ止み』など、話題のドキュメンタリー作品の撮影を次々手掛けるカメラマンです。なので、大久保さんのカメラワークも楽しみにしていました。
実際に作品を観てみると、なんというか、シリーズの第3作目という感じはしませんでした。もちろん、舞台や登場人物は重なる部分があります。しかし、どちらかというと「変化していく状況」を追い続けていた前2作と比べると、今回は、圧倒的に鵜沼久江さんという「人物」にフォーカスしていると思いました。
ほとんど、鵜沼さんと、ごくわずかな人しか登場しないのですが、鵜沼さんの語りを聞いているだけで、震災から時間がたつからこそ・・・の被災者・避難者の状況や心境が、とても良く伝わってきました。
堀切さんのホームページはこちら。各地の上映会情報などが掲載されています。お近くの上映会があればぜひ♪
■「小高の春 福島映像祭バージョン」(2017年/15分/制作:すぎた和人さん)
(あらすじ)制作途中のドキュメンタリー「小高の春」から一部を抜粋して上映。白鳥が舞い、春の訪れを感じる自然の中に、対照的に映り込む除染作業。福島県南相馬市小高区の日常風景を静かに描く。
風貌からして、いかにも個性的そうなすぎたさん。コメンテーターの下村健一さんが「アート作品」と評していたように、作品は直接的な原発、震災、復興に対するメッセージを含まず、サケの産卵や白鳥の群舞の映像がかなり長く続きます。すぎたさん曰く、「白鳥をずっと追いかけて撮影していたら、白いものがすべて白鳥に見えてきた。防波堤をつくるクレーンの車体も白だったので、まるで白鳥のように見えた」とのこと・・・! 制作者トークを聞かなければわからない、作品に込められた思いが満載の、とても面白い質疑応答でした。
福島映像祭のあとは、経産省前テントひろばの座り込みに立ち寄り、9月11日集会参加者逮捕の状況や、事務所家宅捜索の様子などを聞きました。偶然、人生初の家宅捜索に立ち会うこととなったSさんの、詳細な状況報告の途中で渋谷に移動する時間となってしまい、後ろ髪を引かれる思いで経産省を後にしました。この日はとくに取材や撮影をしていたわけではないですが、話を聞かせてもらうときには、次に用事を入れてはいけないですね! まさに「これから」というときに、立ち去るなんてもったいなさすぎです!! ドキュメンタリー監督は、常にヒマ人たれ!!!とつくづく思います。狩りに行くのではない、撮りに行くのでもない、落ちたもの&残ったものを「拾う」のが、ドキュメンタリーなのだから。
さて、上映会場の渋谷に到着しました。上映会の主催は「映像女性学の会」で、私はこれまでに『さようならUR』や『踊る善福寺』など、何度も上映していただいています。観に来られる方々も、フェミニズムや女性学を学んだり、男女共同参画センターで働く人もいたりして、ジェンダーの感度がとても高い方ばかり!
私自身は女性監督ではありますが、『ブライアン~』や『さようならUR』、『踊る善福寺』など、とくにジェンダーの視点や考察を前面に出した作品というのは、あまり(ほとんど)ありません。しいて言えば『乙女ハウス』は、女性と住居の問題を扱っていると言えますが、取材期間があまりにも短かったので、そこまで深くテーマを掘り下げていません。
私のこれまでの作品の中では、『木田さんと原発』が、ジェンダーの要素が一番多いかもしれません。でも、(原発問題を通じてジェンダーの問題を提示したい)という思いから撮ったのではなく、木田節子さんとの出会いから生まれた作品です。原発事故で家を失い、この国の在り方に疑問を持ち、参議院議員に立候補した・・・という木田さんのたどった道が、ジェンダー抜きには語れなかったということです。
一方、インドへの旅行は、女性映画祭参加&女性団体訪問と、女性たちとの交流一色だったので、その様子をひたすらカメラに収めた『インド日記』は、図らずもアジアの女性パワー全開!な作品になったのでした。
私としては珍しく(?)ジェンダー色の強い作品だったからか、この日は、働く女性の全国センターの方々も観に来てくださいました。私は、インドに行くことになるまでSEWAの存在を知りませんでしたが、センターの方たちは1990年代後半からSEWAを知っていて、国際会議でも交流があったそうです。
メンバーの伊藤みどりさんによると、90年代のころは、「インフォーマル」という言葉と概念はどこか遠くに感じていたけれど、現在は日本の労働者もインフォーマルばかりになってしまった、とのこと。
「インフォーマル」や、「インフォーマル・セクター」という言葉は、発展途上国やアジア圏の労働問題について調べると頻出の言葉です。でも、日本語に訳すのがとても難しい言葉でもあります。私も、『インド日記』の字幕翻訳の際に、どう訳すべきか悩みました。
ちなみにウィキペディアでは、「インフォーマル・セクター」は以下のように紹介されています。
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インフォーマルセクターとは経済学用語の一つ。経済活動が行われている場合に、その経済活動が行政の指導の下で行われておらず、国家の統計や記録に含まれていないようなものをいう。これは発展途上国においての経済活動で多く見られる形式であり、貧民とされる者によって行われている。農村に住んでいた者が職を求めて都市部に移住した場合に、インフォーマルセクターという形式で働き生計を立てている場合が多い。インフォーマルセクターとされるような仕事は、店舗を持たずに路上で商売を行ったり、行商を行ったり、再生資源となるようなゴミを集めるなどといった形であり、従事している者はこれらで生活のための収入を稼いでいる。
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こんな長い説明では、字幕翻訳では使えません(> <)!!! なので、字幕ではそのまま「インフォーマル・セクター」とし、ナレーションで以下のように補足説明をしました。
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1972年、アーメダバードで、自営業の女性たちによる組合・SEWAが設立された。普通、「自営業」としてイメージするのは、小規模事業の経営者かもしれないが、SEWAは、日雇いなど雇用が不安定で、社会保障もなく、搾取されやすい職業、いわゆる「インフォーマル・セクター」に属する労働形態を、「自営業」と呼んでいる。野菜や果物の路上販売、裁縫などの内職、染物、陶芸、農業、土木・・・。インドでは、労働者の94%が、こういった不安定な労働形態を強いられているという。立場の弱い女性たちは、さらに搾取されてしまう。
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上記のナレーション原稿を、実際の露天商の映像などと共に紹介することで、「インフォーマル・セクター」のイメージが伝わるようにしました。(SEWAは、女性たちが自らの仕事に誇りを持ち、エンパワーメントをするために、あえて「Self-employed(自営業)」と呼ぶようにしたそうです)。
「インフォーマル・セクター」は、必ずしも「非正規」とイコールではないし、「野宿者」と同義でもない。しかし、生活も仕事も、圧倒的に不安定な状況で生きざるを得ない人全般を指す言葉・・・。
更新の保障がない短期の雇用契約、保証人を要求する雇用契約、体を壊すほどの長時間労働&低賃金etc、今の日本の労働市場を形容する言葉は、まさに「インフォーマル」ではないですか(^^;)!!
数年前、釜ヶ崎で出会った男性が、80年代の頃から「今後、日本全体の“釜ヶ崎化”が進む」と主張してきたと聞いたのですが、“釜ヶ崎化”も、“インフォーマル・セクター”も、言葉は違えどその行きつくところは同じですよね。
『インド日記』で描かれる、電気も水もないスラム街での生活や、SEWAの活動を見て、「日本は恵まれた国で良かった」という感想を時々頂くのですが(昨夜はこの感想は出ませんでしたが)、今や日本も、SEWAのような取り組みをしないとまずいのでは?と、私は答えます。
だって、日本自体が「インフォーマル・セクター」なんですからww
そんなことを考えた映像女性学の会・上映会でした。ちなみに、この日はドキュメンタリー監督の山上千恵子さんもいらしてくださいました。山上さんは、『たたかいつづける女たち~均等法前夜から明日へバトンをつなぐ』という最新作を完成させたばかり。あらすじや自主上映はこちら。おおお、観たい!!
雨の中、ご来場いただいた皆様、映像女性学の会のメンバーの皆さま、どうもありがとうございました!