「かけこみ亭」現場担当者・ぼけまる(溝田幸)さんが、コロナウィルスに感染し自宅療養した体験を、「かけこみ亭よりアイを込めて‼」という配信でお話しされました。
いまや、いつ・どこで・誰が罹ってもおかしくなコロナ。ぼけまるさんの貴重な体験を、多くの人と共有して考えたいと思い、配信の動画を提供していただきました。約45分間の映像です。ぜひご覧ください。
撮影・配信日:2021年9月22日
撮影・配信場所:かけこみ亭(東京都国立市)
撮影者:スタッフFさん
映像提供:かけこみ亭
=====
ぼけまるさんが映像の中でお話しされている内容を、以下、テキストでもご紹介します。テキストで読む都合上、一部、言葉を補ったり、言い回しを変えてある部分があります。お時間のある方は、ぜひオリジナルの映像の方をご覧ください。
=====
毎月第2、第4水曜日に生配信をしている「かけこみ亭からアイを込めて‼」は、約1カ月ぶりです。前回は8月11日(第2水曜日)でした。
その後、8月18日に、私はコロナウィルスの陽性が判明しました。なので、8月の第4水曜日は配信を休み、9月6日も配信できませんでした。
私は1カ月ほど、昼間のヘルパーのお仕事もお休みしました。でも、先週(9月12日~)から、ぼちぼち、よたよたとしながらも動き始めています。
今日は、そういう1カ月の、コロナウィルス感染顛末記をご報告します。
感染が判明した初期のころ、皆さんに心配してもらって、たくさんのメールをもらいました。
一番大変な時期でしたが、他人はそんなに大変なこととは思っていないので、面白おかしいメールも来るし、「こんなのを食べたらどう?」とか、そういうメールももらいました。
ちょうど、8月20日は私の誕生日でした。初めての苦しい誕生日で、記念になりました。これはもう、「改心しなさい」ということかな、と。
私は、今年に入ってから、2週間に1度、新宿のPCR検査センターで、PCR検査を受けていました。毎回、日曜日に行っていました。
7月25日に検査を受け、次回は8月8日に受けるつもりでした。しかし、8日は予約が取れず、その次の8月15日に予約が取れました。
8月15日、敗戦の日に、第17回目のPCR検査を受けました。これまで、検査結果は翌日夕方に届いていましたが、その時はなかなか検査結果が届きませんでした。
(これはなにかあったか?)と思いながらもずっと待っていたら、夜9時ごろにようやく連絡がきました。
「実は陽性反応が…」と言われ、(えー!やっぱりそうか…)と。その検査センターは、検査のみの施設だったので、「きちんとした医療機関で再検査をしてください」と言われました。
翌日(8月17日)、地元・国立市のクリニックでPCR検査をしました。こちらも翌日に検査結果が出ることになっており、18日の夕方には結果が届くと言われていました。
しかし途中で、「ちょっと怪しいから夜まで待ってください」と言われました。
18日の夜、「うーん、やっぱり陽性にしておきましょうか」と。PCR検査の判定というのは、白か黒かのどちらかしかなく、グレーというのはないそうです。
それで私は陽性となり、医療機関から地元(私の場合は立川)の保健所に知らされました。医師からは、明日保健所の指示がありますと言われました。
翌日の19日、私は保健所からの連絡・指示をずっと待っていました。しかし、この日は連絡がなく、20日になってようやく連絡がきました。
「すみません、ごめんなさい、溝田さんですか?」
「どういう状態ですか?」
電話での問診が行われました。生年月日、住所、そして現在の状態を聞かれました。
「熱はありますか?」
「咳は出ますか?」
パルスオキシメーターという、指を突っ込んで酸素飽和度を測る器具があります。それを市役所が貸してくれるので、その器具を使って酸素飽和度と心拍数を計測します。
酸素飽和度の数値が90以下になると、緊急で救急車を呼ばなければいけない。
…そういうことを保健所が教えてくれました。
実際、パルスオキシメーターで測り、
「どれぐらいですか?」
「今、95ぐらいです」
「あ、低いですね。90以下になったらお電話ください。救急車が出ますから」
「え、ほんとに来るんですか? 救急車」
「一応、行くことになってますから」
こういうやりとりをしました。
保健所は重症の人から対応するので、私は軽症ではありませんが、中症ぐらいで、まだ自宅で大丈夫という状態の人は問診だけなのです。
自宅で、酸素飽和度を計測して、数値が80台、70台になったらお電話ください、救急車が行きます…そういう感じになります。
私の場合、3~4日間、ずっと95、93などの状態でした。89になったりすると、ピピピと音が鳴りました。そういう数値をずっと行き来していたので、ハラハラしました。
私の周りでは、他にコロナウィルスに感染した人が何人かいます。彼らに自分の酸素飽和度の数値を伝えると、「危ないよ、病院に行った方がいいよ」と言われるのですが、病院は空いていないので、重症の人しか入れません。
3~4日間はずっとそのような状態で、熱も37度台が続いて下がりませんでした。
私はこのかん、寝てばかりいました。3~4時間寝て、目が覚める。まだ夜中の3時だったりしました。昼も夜も寝て、ご飯を時々食べました。
4~5日目ぐらいに、このままではまずいと思い始めました。それ以降、昼間はなるべく起きているようにし、そこから生活のリズムができました。
8月20日、あまりに熱が下がらない状態が続き、咳も出るので、解熱剤と咳止めを1週間分もらいました。
そこで初めて薬を飲み、4日後ぐらいから熱がだんだん下がり、1週間後には咳もあまり出なくなりました。それで薬はもう飲まなくてよい状態になりました。
お医者さんに、肺のレントゲンを撮ってほしいとお願いしました。そこは耳鼻科だったので、内科で予約し、レントゲンを撮ることになりました。
当時、立川の保健所はもうパニック状態で、電話が通じませんでした。国立市は、市役所の中に、自宅療養者のための相談コーナー(新型コロナウイルス感染症自宅療養支援室)を設けました。
私は支援室に電話をし、相談をしていました。支援室は、細かく色々と対応してくれました。肺のレントゲンを撮る予約も、支援室がクリニックに連絡をし、予約を取ってくれました。
私は9月1日、クリニックで肺のCTを撮りました。CTのほうが、レントゲンより詳しく状態を見られるそうです。
CTの結果は、その日のうちにCD-Rに焼き付けて渡されました。
翌日、そのCD-Rを最寄りの医者(新田クリニック)に持っていき、画面を見ながら説明をしてもらいました。
医者は画面を見ながら、「もう肺はだいぶきれいになっている」と言いました。しかし「でも、ここのこれがちょっと気になるんだよなぁ…」と!
私が「ひょっとして肺がんですか?!」と聞いても、「うーん、まあそれは今回おいておいて…」とはぐらかされました(笑)
医者からは、他にどんな症状があるかを聞かれました。
私は、すぐ疲れる状態であること、咳がまだ出ること、などを伝えました。先生は咳の薬を処方しました。
私は今でも、深呼吸をすると、胸がつっかえるような感じになります。
医者にそう伝えると、彼は「それはもう、後遺症でしょう」と言いました。もう若くないので、すぐには治らない、と。
「治ってもまたすぐ陽性になるかもしれないよ?」
そんな風に脅してみたり!
ただ、「コロナは誰でもなりうるのだから、これを機にリニューアルしてまっとうな人間になりなさい」「もうタバコもお酒もやめなさい」…そんな話ばかりされました。
血液検査もしましたが、私の場合はコロナ前の血液検査のデータがないので、様々な数値を比較することができません(感染によって変化したのか、等)。
なので、1週間後にまた血液検査をしました。2回の血液検査の結果は、たいして変わりがありませんでした。(ただ、肝臓や腎臓など、悪いところは悪いそうです!)
CTに関しては、9月末か10月初めに、あともう1回は撮った方が良いと言われました。私も撮ってほしいと思っています。
コロナ感染の症状というのは、人によってかなり違います。私は味覚・嗅覚の障害はなかったので、まだマシな方でした。
私と同じ時期に、知り合いの阿佐ヶ谷の獣医さんもコロナに感染し、重症になってしまいました。味覚障害があり、嗅覚障害もあり、ずっと39度ほどの高熱が続いていたのに、病院には入れず、約2週間、ずっと自宅待機の状態でした。
その獣医さんは、他の小児科や内科の医師とのやり取りを長い報告書にして、みんなに公開するような日記を書いてくれていました。それを読むのが、私にとってすごく参考になりました。
国立市の、かけこみ亭界隈には、コロナに感染した人がたくさんいます。おもに音楽関係の人が多いです。バンドをやっていると、誰か一人が罹るとほかのメンバーにもうつってしまいます。感染していなくても、濃厚接触者として、2週間隔離されます。
ヘルパーをしている人も何人かいますが、ヘルパーの事業所で誰かが陽性になったから2週間動けないとか、そういう話もたくさんあります。決して他人事ではありません。
ところが、最初、私の感染が判明した時に、そのことをメールで全国津々浦々、最高84人ほどに1日かけて送ったら、皆さんがいろいろ心配してくれて、2日目ぐらいに「差し入れ」としてお酒を持ってお見舞いにやってきた人もいました!
その他にも、「どうしたの?」と色々なものを持ってきてくれる人たちがいました。
私は「(私に)近づかないで! ドアの、そのあたりに置いておいて!」と言いました。
当初は、周りの人たちはそんなに深刻だとは思っていなかったようです。噂を聞いてやってきた、という感じでした。
ただ、4~5日目ぐらいになって、だんだん私の様子・状態が伝わってきて、「真夏のサンタさん」が毎日来てくれて、夜には「夜の氷屋さん」が来てくれて、おかげで私の食料事情はずっと安定していました。
でも、これまで20数年間、私は1日1食しか食べない生活をしていたので、なかなか食べきれませんでした。
朝、真夏のサンタさんがおにぎりを1個置いていきます。
最初の3日間ほどは食欲がなく、食べれませんでしたが、そうするとげっそりと痩せてしまって、トイレに行くのもやっとの状態になってしまいました。
(これは食べなきゃだめだ)と思い直し、無理してでも食べるようになりました。
ちゅ~っと吸うような食品や、ビタミンの錠剤などを持ってきてくれました。
8月30日、私の自宅療養の期間が終了することになりました。その際、看護師さんと電話で話していて、「もっと前にコロナに感染していたのではないですか?」と言われました。
そういえば、8月の初めごろ、自分では夏バテかなと思っていましたが、だるく、咳がちょっと出ていました。でも、お医者さんもやっていないので、寝ていたのです。
私の話を聞いて、看護師さんはもしかしたらそのころに発症していたのかもしれないと言いました。
コロナは、感染してすぐに発症するわけではないので、だから怖いのです。
濃厚接触者が、2週間は動くなと言われるのは、潜伏期間が2週間ほどあるからです。早くて5日目、1週間目ぐらいで発症する人もいますが、2週間ぐらい潜伏している人もいます。
感染しても元気な人は、そのかんに飛び回ってしまい、他の人にうつします。これがコロナの特徴です。
インフルエンザならば、感染して2~3日でのどが痛くなったり、鼻水が出たりして、自覚症状がありますが、コロナはそうではないのです。
メールでやり取るする人の中で、どこで感染したの?と聞く人がいました。私はどこで感染したかを聞くのは、犯人探しみたいじゃないか?と返信しました。
その人は、「いや、そういう意味ではなくて、感染場所が分かれば、その場所に行かないようにするから」と言いました。
でも、感染場所なんてわかりません。山手線? 中央線? それとも小田急線?? どこで感染したかはわかりません。
感染した人が悪いわけではなく、悪いのはコロナウィルスなのに、どこか犯人捜しのような雰囲気になってしまっているのです。
最初のころ、メールを送ってきてくれる人たちは、悪気はないのですが
「これ食べたほうがいいよ」
「整体でこうやると治るらしいよ」
そういうメールがたくさん来ました。
極端な人は、「酸素飽和度の数値を悪く言って、救急車を呼んでもらったら?」とも!
みんな、アドバイスをしてくれるのはいいですが、どこか評論家的なアドバイスで、「私はコロナにはかからない・かかったアンタがダメなのよ」…そういわれているようで、私はだんだんイライラしてきました。
「可哀そう」
「頑張って」
(ついでに)「あ、誕生日おめでとう」
他人事だ。評論家だ。
私は高校の同級生にもコロナ感染を知らせていました。田舎に住む同級生は、私の感染にとても驚いていました。
自分の知り合いで陽性になった人は初めてだ!と。「どういう状態になるのか教えてほしい」と言われました。
そういう反応をする人もいるし、罹ったやつが悪いという対応をする人もいるし、「なぜワクチンを打たなかったのか、打たないからダメなんだよ」という言い方をする人もいました。
色んな反応があり、自分が試されているようにも感じました。
私の妹は、病院が経営する老人ホームに勤めています。なので、去年の今頃から、コロナに対してピリピリしていました。
田舎ですから偏見がすごいのです。県外に出るという時には、去年の今頃ですら病院長のハンコが必要でした。ましてや、東京になど行こうものなら、「あの人、先週東京に行ったらしいよ、危ないよ」…そんな風になってしまうので、逆に隠そうとするようになります。
コロナに感染した人は悪い人。まるで犯人扱い。
なので、妹の偏見がすごかったです。私は、きょうだい全員にも、他の人に送るのと同じ一斉メールを送って、自分の状態を知らせていました。
すると、妹から怒られました。コロナに感染して大変だと言っているのに、毎日毎日こんなに長いメール? 私はもう読まないからね、と!
妹は福祉関係・老人施設に勤めているのに、感染した人が悪い、俺が悪いみたいな表現です。
「元気じゃん。毎日くだらない文章書いて。今日も来たからもう読んでいません」。
だから私は妹に手紙を書きました。「そういうことじゃない」、と。国立市のことや資料などを入れて送りました。
かけこみ亭の周りには、ヘルパーをやっている人、医療関係者、獣医さんなど、コロナに感染した人たちがいます。看護師が陽性になり、家族も濃厚接触者として検査を受けた人もいます。ワクチンを受けて熱が上がった人もいるし。
田舎は隠すのかもしれませんが、田舎の友達が言うには、その人の知っている人でコロナに感染したのは自分が初めてだ、ということでした。聞かせてくれ、どういう状態なんだ?と。
私は、東京はもうたくさんの感染者がいて、病院がパンクしている、入院させてくれない、自宅で死ねということだからね、などと伝えました。友人は「え~ひどいね!」と驚いていました。
コロナの後遺症は人によって全く違います。嗅覚障害がなかなか治らないようです。香水は分かるが、お線香のにおいが分からないという人もいます。
味覚障害に関しては、だんだんと戻ってきてはいるが、塩ラーメンが分からない、醤油ラーメンは分かる、そういうことを言う人もいます。
ひどい人は、ワサビが全然辛くない、唐辛子を入れても辛くない、とか。
お味噌汁を作るとき、どれぐらい味噌を入れればよいかわからないから、今はインスタントの味噌汁を買って食べているという人もいます。
それぐらい、後遺症は人によって様々で、一概には言えません。
だから、コロナに罹患した人に対し、「もう〇日たったから元気になったね」とは、絶対に言ってはいけないのです! 「だいぶ回復しましたね」もダメ。
回復のペースや度合いは人によって違います。
私の場合、今年いっぱいはダメだろうなと思っています。ちょっと動くと疲れるし、動いていないから筋肉も弱っています。年も年だし。
皆さんも、他人事ではないですよ。
だから、感染したらどうするかということを、先輩たちからいろいろ聞いておいた方が良いと思います。
私は友達がたくさんいるので良かったですが。
自宅療養・自宅隔離となった場合、国立市は、頼めば食糧支援をしてくれます。レトルト系の食品ですが、2週間分の食料を届けてくれます。
そういう情報を知らない人、例えば私がヘルパーで訪問する先の、65歳の一人暮らしの男性などの場合、知り合いもいないし、そういう情報も知らないだろうから、そういう人が感染してしまった場合、本当に大変だろうなと思います。普段からネットワークを作っておかないと。
オリンピックの開催で、コロナに関する色んな数値は、(政府は)操作しているだろうと思います。最近、感染者の数字がどんどん下がってきていますよね。今月で緊急事態宣言を終わらせようとしているから。
感染者が〇人と言っても、それは何人を検査したのかという分母が示されず、陽性者の数だけですから。
ピーク時には、連日5,000人ぐらいの感染者があったのに。
私はオリンピックの選手村を、どこにも行けない、自宅療養しかできない人のために利用するべきだったと思います。
去年か一昨年、中国で何千人分かのプレハブ(病院)を、1週間ぐらいで作ったという報道がありました。選手村を今後どうするのか?(会場より、選手村はもう販売されているとの指摘)
私の周りでは、ホテルに軟禁された人も何人かいます。大まかに、重症者は病院、中症ならホテル、軽症は自宅となっていて、自宅やホテル療養でも熱が上がれば救急車で運びますという方針にはなっていますが、ただ、病院は空いていないので、簡単には入ることができません。
自宅療養の場合、家族も濃厚接触者になり、2週間出られなくなってしまいます。
国立市にはこんな人もいました。息子さんが陽性になり、家族は濃厚接触者になり、1週間自宅で過ごしていました。3~4日目に、お母さんが陽性になり、しかも重症で、自分で救急車を呼び病院に運ばれました。
病院で、2日間の点滴を受けました。歩けず、息もできない状態だったそうです。
その人が病院から出て、自宅で療養していた時に、私がコロナになりました。彼女は私にずっとアドバイスをくれていました。
パルスオキシメーターの数値について、
「その数値は危ないよ。もっと低くなったら電話した方がいいよ」
「電話しても救急車は来ないんじゃない?」
「来るかどうかわからないけど、電話しなくちゃ」
そういうことも教えてもらいました。
(ここで、視聴者よりぼけまるさんに「歌って」というリクエストが!)
歌えないですよ! 歌うということは、息を吸ったり吐いたりするのですから!
電話で話すのも大変なので、連絡はメールでちょうだいと言っています。私のガラケーは、もともと電話としては使っていませんでした。
これまで、ガラケーに電話をかけてくる人がいても、私は応答しませんでした。
それが、コロナに感染して以降は、支援室などとのやり取りはすべて電話なのです。保健センターもそうです。
これまでガラケーの電話を使っていなかったので、電話がかかってくると、取り方が分からずに、もたもたしているうちに切れてしまったり…。3日目ぐらいまでは、このような状態でした。
看護師さんと電話で話していると、長電話になることが多いです。電話で話している最中、看護師さんから「話していると苦しくないですか?」と聞かれます。
私は息切れがして、じゃあ、もう電話を切りましょうとなります。話すのは、肺を使って呼吸をするので、苦しくなってしまうのです。
先週からは、昼間は徘徊するようにして、2時間ぐらいあちこち出かけましたが、それも公園で休みながら…という感じです。
歌は、暮れぐらいになったら歌えるだろうと思います。紅白歌合戦までには、何とか歌えるようにしておきます!
皆さん、本当に気を付けてください。新株というのがまた来ているらしいので。
ワクチンを打った人に、ワクチンパスポートをという話も出てきていますが、それがまた締め付けになるでしょうね。
ただ、40代ぐらいの人は、まだ4割ぐらいしか接種していない、新宿区のワクチンが足りないから渋谷区からもらったとか、そういう話も出ていましたが。
今、かけこみ亭はずっと営業をしていなくて、ここ2種間ほど、私は昔の資料を整理しています。(ライブのチラシや手書きの譜面などを見せる)。30年分の資料です。
(「雑草音頭」のCD紹介)
(完成したばかりのCD「がんばれ人類 かけこみ亭からアイを込めて」の紹介。欲しいという人には全国に発送するとのことです!)
皆さんも気を付けてください。ただ、「気を付けてください」と言っても、感染するときは感染します。ですから、感染したらどうするかということを一生懸命考えておいた方が良いです。
そんなに恐れることはないですが、でも、「ナメちゃアカンで」というやつですね。
かけこみ亭からアイを込めて、第50夜、ぼけまるのコロナ感染顛末記でした‼
=====
以下に、昨年のシビル映像ワークショップで、課題作品として制作された「かけこみ亭」の映像をご紹介します。
①『かけこみ亭の冒険』(撮影・編集:井口政基さん)(約5分)
②「かけこみ亭」探訪 (撮影・編集:小泉雅英さん)(約15分)
以上、国立・谷保「かけこみ亭」ぼけまる(溝田幸)さんのコロナ感染顛末記でした!