2年前、古畑和子さんのご紹介で、本間照光さんの講演に参加しました。その時のご縁で、本間さんより、最新の記事をネットで公開したという連絡をいただきましたので、ご紹介します。
本間照光(ほんま・てるみつ)さんプロフィール
青山学院大学名誉教授。
1948年、北海道に生まれる。小樽商科大学卒業。保険会社、高校教諭、北海学園大学教授、青山学院大学教授、同大学総合研究所所長を歴任。保険・共済・社会保障論。著書に、『社会科学としての保険論』『保険の社会学-医療・くらし・原発・戦争-』『団体定期保険と企業社会』『階層化する労働と生活』など。
上記プロフィールにある通り、本間さんのご専門は「保険」です。保険制度という枠組みで社会を視る…というのは、私は今まで全く意識していなかったのですが、本間さんから頂いたメッセージと、「原子力損害賠償制度」に触れた最新のコラムを拝見し、保険制度をどうデザインするかで、私たちの暮らしは大きく左右されるのだと知りました。
ぜひ多くの方に読んでいただければと思います。
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「こんなことを考えてきました」
(本間さんから頂いたメッセージを、許可を得て掲載します)
保険を通じて、いのちとくらし、社会のあり方、人間の歴史を考えてきました。「保険」は「社会と人間、リスクを映し出す鏡」です。保険に注目してみると、その国と社会のあり方が浮かび上がってきます。世界のどこにも保険はありますが、アメリカや日本のような保険づけの国と、福祉国家といわれる北欧やヨーロッパ諸国とは、資本主義とはいっても、ずいぶんと違っています。それが、保険への依存の違いからみえてきます。
保険には、ふたつの側面があります。ひとつは、「社会とリスクの現実を追認する」という側面、もうひとつは「社会とリスクの現実を変革・改良する」という側面です。どちらが強まるかで、社会をよくしたり、悪くしたり、ずいぶんと違ってきます。へたをすると、核戦争への導火線になったり、破局をもたらしかねません。
保険は社会のあり方を映し出す鏡ですが、ゆがんだ鏡です。営利事業であり、軍事など国策とも結びついてもいるからです。しかし、そのゆがみを通じて、現実の姿がみえてもきます。
ちなみに、原発については、事故は起こらない、万一起こっても、「原子力損害賠償制度(原賠制度)」という保険で補償されるとされてきました。私は40年ほど前に、そうはならないと書き、その後も繰り返し発信してきました(「原子力保険のパラドックスー核時代と原子力損害賠償制度ー」『技術と人間』1982年3月号。後に、『保険の社会学ー医療・くらし・原発・戦争ー』1992年、勁草書房、所収)。
虚構は、3.11の福島原発事故で現実のものとなりました。加害者は守られ、犠牲は被害者と人びとに強いられています。ひきつづき、原発事故汚染水の海洋放出や核のごみの投棄も大きな問題となっています。これも、その無責任ぶり、非科学性、秘密に隠されたうそが、原賠制度を通じて浮かび上がってきます。
福島の事故前も、原賠制度という保険から原発を考えることは、とても少なかった。事故後は、増えるどころか、逆にいっそう減っています。保険の研究が、その視野においても利害においても、保険業界の枠内で行われているからです。他の分野からの保険研究や保険への視点も、出ていません。
反原発の研究者や市民団体からの原賠制度への発言も、ほとんどありません。保険を通じて社会とリスクをみるという視点が、学問からも運動からも欠けていて、欠けているという自覚も欠けています。ちなみに、「原発ゼロ基本法案」においても、原賠制度は抜け落ちています。たとえ、原発ゼロになっても、核の被害は永久に続くのです。
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本間さんの最新記事を以下にご紹介します。いずれも、全文を無料で読むことができます。
◇週刊エコノミスト・オンライン(全4回)◇
〇連載第1回 名ばかりの「対話の場」 合意“無視”で最終処分場が決まる「原発の穴」https://weekly-economist.
〇連載第2回 “加害者”を守ってきた「原子力損害賠償制度」こそ“虚構”