「しんゆり映画祭で表現の自由を問う」というオープンマイクイベントで、私が個人として録音したデータを、後日YouTubeにアップし、映画祭および映画監督の纐纈あやさん他から問題視されている件について、「事前申し込みをすれば、撮影・録音、そしてそれらの公開も自由にできたのに、なぜ事前申し込みをしなかったのか」というご指摘を、少なくない方々よりいただいています。
確かに、ドキュメンタリー監督として、普段から様々な取材を行っていますので、事前申し込みをしなかったということについて疑問に思う方が多いというのは、よく理解できます。
事前申し込みさえしていれば、私がノーカットの音声のみならず、ノーカットの映像を公開したところで、誰も文句を言わなかったはずなのに…と、現在のやり取りを、やきもきしながらご覧になっている方も多いでしょう。
(しかし今回、映画祭スタッフの方や纐纈さん、そして様々な方のコメントを拝見する中で、どうも、イベント内容全体よりも、映画祭スタッフの発言が知られては困る、職場で何かがあったらどう責任を取るのか…的なことが、実は「ルール」よりも一番大きな理由として背景にあるようにも感じるので、現在では「ルールは”盾”として使っているんだろうなぁ」という疑念を持っています)。
ノーカット音源の公開をした際、その理由についてごく簡単にだけ、映画祭事務局あてのメールの中で書いていましたが(手短に書いたので、映画祭事務局もそれだけでは十分理解しているとは言えません)、今日ここに、改めてしっかりと、「なぜ事前申し込みをしなかったか」について、公に説明させていただきたいと思います。
皆さまもご承知のように、今回のオープンマイク・イベントは、とても短い期間の中で、企画→告知→開催されました。(朝日新聞の報道で明らかになってから、イベント当日まで、1週間もありません)。
私自身は、『主戦場』上映中止の件を、ネットで25日に知りました。私はこれまでしんゆり映画祭に関わったことはなく(存在はもちろん知っていましたが)、自作が上映されたこともありません。
しかし、10月25日のタイミングで、映画祭が「川崎市」の圧力によって、映画の上映を中止したというのは、私にとっては全く他人ごとには思えませんでした。
これは、「映画人のひとり」として他人事とは思えない、というレベルではなく、私にはもうひとつ、別の事情があったからです。
しんゆり映画祭とは無関係に、私は、今年の春に、川崎市の市民サークルからの依頼で、秋に開催される映像ワークショップの講師をすることになりました(ワークショップの詳細はこちら )。
このワークショップは、川崎市教育委員会(しんゆり映画祭の、共催6団体の1つでもありますね!)が主催し、川崎市の市民サークル「あさおドーガサークル」が運営をする、という形式で開催されているものです。
私は、これまでに川崎市とはつながりはなく、その市民サークルの存在も知りませんでしたが、今年の春に、市民サークルの代表の方より、ホームページ経由で連絡を頂き、その後何度かの打ち合わせを経て、ワークショップの講師を、全過程ではなく「撮影」、「公開」の部分に限って、担当させていただくことになりました。
全過程ではなく、部分的に担当した理由は、今、問題になっている件とは関係ありません。この講座が、「スマホを使った撮影・編集・公開」を目的とした講座だったので、私は「スマホで撮影はするが、スマホ上で編集したことはないので、それは教えられない。”スマホ”とひと言で言っても、iPhoneとアンドロイドではアプリも操作方法も全く異なるので、一筋縄ではいかない」と、最初はお断りしたのです。
ほとんどの映像制作者は(映像制作者こそ)、スマホで撮影こそすれ、「編集」をするのはパソコンでしょう。スマホは、パソコンや高価な編集ソフトがなくても出来るから便利…と、一見思われるかもしれませんが、スマホで編集をするなんて、実際、ものすごく手間がかかることです(単なるイメージ映像をつないでいく程度なら良いですが、様々な取材映像を組み合わせて構成する作品を、映像作家がわざわざスマホ上で作るとは思えません)
私がそのように説明したところ、「他の映画監督たちにも、そういって断られている。なかなか引き受けてくれる人がいない」ということで、「ならば、撮影と公開だけ私が担当します、編集はドーガサークルさんのほうで担当してください」となり、私は上述したように、撮影と公開部分だけ、担当させていただいたのでした。
…と、話がずれましたが、そのような経緯で、10月19日(土)に撮影の第1回、そして10月26日(土)に撮影の第2回を担当することになりました。
今回の場外乱闘さわぎを追ってくださっている方々はもうお分かりのように、撮影、とくに生身の人間・生活を撮る「ドキュメンタリー」の撮影というものは、撮影の「技術的」な部分(構図、ピント、ホワイトバランスetc)よりも、撮影・編集・公開のそれぞれのステージにおける「人間関係」のほうが、ずっとずっと大きな問題です。
撮影者と被写体が、映画を撮る・撮られるということには合意していても、映画『主戦場』をめぐるトラブルにも表れているように、「こんな映画で使われるとは思わなかった」「私の意図が伝わっていない」「不本意なシーンが使われた」等々、どこまでもトラブルがつきません。
なので、私は普段から、どこかで映像ワークショップを担当させていただくときには、技術的なこと(カメラ操作)は本当に最低限のみで(ぶっちゃけ、録画ボタンさえきちんと押せば、誰でも映像は撮れますから)、それよりもはるかに多くの時間を、上述した、撮影・編集・公開におけるトラブル:私たちはどこまでどう撮れるのか、それは許されるのか、 隠し撮りや隠し録音はOKか、OKならどんな場合にどんな理由で許されるか、 利害対立をどう考えるか、ネットに動画を公開するという重み、トラブルはどのようにしたら防げると思うか、そして根底にある表現の自由について、スラップ訴訟…等々、私の意見や経験も交えながら、受講者の皆さんに問いかけ、とことんディスカッションをしています。
これらはすべて、私は、立場的には「講師」ですが、私が「正解」を持っているのではなく、私自身が現在進行形で(今がまさにそうですね…!)ぶつかり、悩んでいることです。必ずしも映像を生業としていなくても、カメラを持ち、それを他者に向けるならば、これはいかなる人にも考えてもらいたいテーマだと思い、ワークショップの重要なテーマとしています。
今回の、川崎市で行ったワークショップでも、当初から、第1回目は撮影の技術的なこと(3時間)、そして第2回目は「トラブル」をテーマにすると決めていました(3時間)。
生身の人間を撮影し公開することによる、様々なトラブル。時には「上映禁止」や「動画の削除」の訴えを起こされるかもしれないというリスク。
…そんなことをテーマにディスカッションする回の直前に、「しんゆり映画祭」の問題が明らかになりました。私は、第2回目のワークショップの内容に、急きょ、「しんゆり映画祭事件」も加え、ディスカッションで取り上げました。
そのワークショップの主催者は「川崎市」ですから、私はその川崎市から講師料(=税金)を頂いている、ということです。なので、私は今回の「しんゆり映画祭」の件は、映画人一般として…よりもさらに、私も川崎市の表現の自由に、無関係・無責任ではいられない、という強い思いを持ちました。
なので、30日にオープンマイク・イベントが開催されると知った時、「取材に行こう」という感覚ではなく、私も関わっている、川崎市の表現の自由の問題に、強い抗議の意思を表すために、会場を埋めつくす参加者の一人として参加したい、と思いました。
そしてもうひとつ、私にはこのイベントに、「取材」ではなく「参加」する、大きな目的(狙い)がありました。
私は映像制作者ですが、自分の作品制作だけでなく、活動の中で知り合った、他の監督たちの作品の上映会も、不定期で行っています。国内外のあまり知られていない優れた作品を、他の人たちにも知ってほしい、知らせたいという気持ちからです。
規模としては、「しんゆり映画祭」の足元にも及びませんが、これまでに、「韓国ドキュメンタリー映画祭」(東京)や「シャチホコ映画祭」(名古屋)など、「映画祭」と銘打って、何本かの作品の上映や監督トークなどを主催してきました。(韓国…は、渡辺美樹さんと2人で共同開催、シャチホコ…は井上めぐみさんと2人で共同開催)。
「しんゆり映画祭」の市民ボランティアの方々と同様、私も手弁当で、手作りの映画祭・自主上映会を開催しています(助成金は申請したことはありません)。これは、映画文化を普及させたい市民のひとりとしての活動です。
私が上映する作品は、私や共同開催者の個人的な交流により、十分でない条件でも上映を承諾してくれた監督の作品がほとんどです(予算がないので、そうじゃないと上映できません)。
私の周りには、インディペンデントで社会問題をテーマにしたドキュメンタリー監督が、とても多いです。ですので、社会問題を取り上げたドキュメンタリー作品を上映する場合に、炎上する、排外主義者たちから攻撃を受けるという事態は、映画祭開催者の私にとっては、まるで他人事ではありません。
自分が主催する映画祭で、同じことが起こった場合、どんな対応・対策がとれるのか、それは私にとっても緊急の課題です。(これからのご時世、ますます大変になっていくことでしょう)。
実は今、とある映画の上映活動に関わっています。韓国のドキュメンタリー監督による作品で、タイトルはまだ未定、編集は最終仕上げの段階で、公開時期・方法も未定です。
その監督とは、数年来の付き合いがあり、私はとてもお世話になっています。その映画も見せてもらい、現代の日本社会に様々な問いを投げかける、素晴らしい作品だと感動していました。ぜひ日本での上映・普及活動に協力したいと私は申し出て、連絡を取り合っていました。
「慰安婦」をテーマにした『主戦場』や『沈黙 - 立ち上がる慰安婦』(パク・スナム監督)は、排外主義的な思想の方々からは攻撃されますが、左派・リベラル全般からの理解・支持は厚いです。
一方、私が上映活動に関わりたいと申し出たその映画は、場合によっては、「慰安婦問題」以上に炎上する要素を抱え、防衛のために市民が大同団結できるか難しい作品です。
というのは、その映画の中で扱われているテーマは、日本で過去に起こった爆弾闘争であるため、左派・リベラル界隈の中でも「暴力的な闘争は支持しない」という人たちが多いのです。さらに現在も指名手配中の人物がいる、未解決の事件です。監督が韓国人ということも、現在の日韓関係の悪化では、攻撃の対象になるかもしれません。(念のため申し上げておきますが、映画はその犯罪・手法を肯定する立場では作られていません。なぜそのような犯行に至ったのか、その後どのような人生を生きたのかを、丁寧に追った作品です)。
11月2日に、その映画の関係者試写会が予定され、私はその映写担当となっていました。上記の懸念を感じていたので、その直前に開催されたオープンマイク・イベントは、私にとってはまさに「渡りに船」と思えました。
イベントは、「オープンマイク」ですから誰でも発言できるので、私はその映画のことを発言し、会場に集まる皆さんからノウハウをお聞きしたい、上映時の妨害に対抗するネットワークを作りたいと思ったのです。同じような活動をしている人がいれば名刺を渡し、防衛に協力したいという人たちともつながる…そういう目的もありました。
ですから、私はイベントの前に、急いで名刺を100枚印刷し、会場で発言するために絶対座席を確保しようと、イベント開始の1時間以上前に会場に到着し、なるべく前の方の座席に陣取って、集会の終盤で発言しよう!と構えていました。( 結局、イベントを通じて露呈されたのは、「上映ノウハウ」や「ネットワークづくり」以前のレベルの問題でしたので、私はこの日のイベントで発言をすることなく、呼びかけをすることもなく帰宅しましたが…)
…ずいぶん長くなりましたが、ここまでをまとめると、私がこのイベントに参加した目的は、「取材」ではなく、「抗議の意思表明」と「炎上リスクのある作品を上映するための、情報収集とネットワークづくり」だったのです。
ですので、「ビデオカメラを持って取材に行こう」…というのは、全く頭にありませんでした。
…というか、これだけ大問題となり、メディアで大きく報じられ、作品のボイコットがあり、有名な監督も映画祭の対応を非難…等々、大注目されている案件でしたから、沢山のメディアが取材しに来るだろうと想像していました(実際そうでした)。
私は普段、大小さまざまな集会、シンポジウムや院内集会などに参加しますが、話題になっているテーマの場合は、私が行く集会の先々で、「IWJ」さん、「UPLAN」さん、「OurPlanet-TV」さんに遭遇します(いつも取材お疲れ様です!)。
これらのインディペンデント・メディアの方々は、基本的に集会の最初から最後まで、ノーカットの映像をYouTubeや会員向けメディアに掲載しています。集会に行けなかった場合は、その一部始終が無編集でみられるので、とてもありがたい情報源となっています。
この日も、きっとこれらの方々がいらしているだろう、と勝手に思っていましたので、集会のノーカット映像は、きっとこれらのメディアの方々、もしくは主催者によって、後日、掲載されるだろうと思いました。( 実際、「IWJ」さん、「UPLAN」さん、「OurPlanet-TV」さんらがいらしていたのかは、私は会場前方に座っていたのでわかりません。今日現在で、動画がアップされていないようなので、取材には来ていなかったのかもしれません:未確認情報です)
私は集会やイベントの撮影は、自分が映画のテーマとして追いかけている内容で、なおかつその制作渦中だったならば、必ずビデオカメラを持って、取材の申請もしよう…と考えますが、それ以外の場合は、「なんでもかんでも」「どこに行くにも」ビデオカメラを持ち、取材をする…というわけではないのです。
作品制作に直接関係ない(しかし関心は持っている)集会の撮影は、感覚的には、100回のうち5回ぐらいではないかなぁ…と思います。それぐらい、私は撮影は少ないです。(そのあとの編集作業などもありますから、行く先々で撮影をし続けることは、私の体制(=ひとりメディア)では難しいのです)
ですので、もし、ドキュメンタリー監督やビデオ・ジャーナリストならば、集会に行くときにビデオカメラを持っていくのは当然、と思っている方がいらっしゃったら、それは「そうでもない」ということをお伝えしたいです。
…また長々と書いてしまいましたが、以上が、事前申し込みをせず、ビデオカメラも持っていかなかったという理由です。
次に、なぜ「無断録音」をしたのか、そして「ノーカット音源の公開」をしたのか、という点についてです。
既に申しあげたとおり、映画祭が決めた「ルール」は、イベント会場である3階フロアの動画撮影や録音は、事前申し込みをしたメディアのみで、一般の参加者は写真撮影とSNS投稿はOKということでした。
私は上述したように、取材目的で来たわけではなく、個人的な目的で参加したので、そのルールに異を唱えることはありませんでした。(20以上の多数のメディアが取材に来ていたので、TV報道はその性質上短いでしょうが、インディペンデント系のメディアからはノーカット映像が出てくるだろうと思い込んでいました)
そのうえで、私が自分のスマホで録音をしていたのは、上述した炎上リスクを抱える作品の、上映ノウハウとネットワークづくりのために、全てをメモ書きするのは速記技術がないので不可能なため、もし大事な部分を聞き逃したり、協力関係を築きたい団体名を聴きとれなかったりした時のための、自分のメモを補完する目的で、私の個人使用のために録音をしました。そのデータを他者に聞かせる、ネットに公開するというつもりは、その時点では全くありませんでした。
基本的にはメモ書きメインでしたので、スマホは床に直置きという形で録音をしました。話している方向に向けるビデオカメラと違い、床に置いたままのスマホでは、録音の質はかなり低いです。また、イベント中にスマホで録音しながら、同時にそのスマホで写真も撮り、テキストを打ち、SNSに投稿していたので、スマホ画面を忙しくタップする音も沢山入り込んでいます。
ですから、これだけが唯一の、公開されているノーカットデータになってしまうのは、そもそも私にとっては不本意です。本来は、あれだけたくさんのメディア(マスメディア&インディペンデントメディア&フリージャーナリスト等)が取材に来ていたのですから、彼らの中で一社でもひとりでも、きちんと撮影したノーカットの映像データを公開してほしいです。
…ここまでをまたまとめると、自分のメモを補完するための個人録音だったので、映画祭のルールにその場で異を唱えず、当初は音源を公開するつもりも全くなかった、ということです。
それならばなぜ、個人録音のつもりだった音声データを、後日ネットに公開したのか?という点について説明します。
それは、「他人のせい?!」と批判されてしまうかもしれませんが、あれだけ沢山のメディアが取材に来ていたのに、ノーカット映像が公開されていない(このブログを書いている今日現在も、私がネットで検索する限り、見つかりません。見つけた方がいましたら、教えていただきたいです)ということと、そもそも、私が想像していた以上に、映画祭事務局とスタッフの方々の当事者意識に、根深い問題があると感じたからです。
映画祭の「当事者意識」の問題は、既に場外乱闘#1で、私の意見を表明しています。
最初、新聞報道で上映中止問題を聞いた際には、私の印象では「川崎市にちょっと懸念を示されただけで、映画祭はすぐ上映中止を決めた」…という構図として考えていました。ですので、イベントで、参加者たちから多くの批判と励ましを得て、川崎市の圧力を跳ね返していく(私もその一人として加勢する)…そうすれば、この問題はすぐに解決するものだと、甘く考えていました。
しかし、私がイベント翌朝、「備忘録」として書いたように:
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私はこの件を報道で知った時、市側から「懸念」を示されただけで映画祭は上映中止を決めた…という感じで理解していた。だが実際は、映画祭の事務局は、川崎市側とは何度もやり取りし、資料も何度も提出し、話し合いの機会も持ったということが、イベントでの説明と配布資料にあった経緯で分かった。
市側の説明はすべて、メールや文書という形では残されておらず、口頭のみ。市のやり方を警戒した映画祭スタッフが、映画祭事務局に市とやり取りする際は、文書での回答の要求や、電話の録音などしてくださいとお願いしても、事務局はそうしようとしなかった。(映画祭『主戦場』担当スタッフの発言より)
昨夜のイベントに、当事者(発端)である川崎市は不参加(お知らせしても返事なし)。
一連の経緯を聞きながら、映画祭のボランティアスタッフは、オレオレ詐欺でいうところの「受け子」だと思った。主犯の「市」の顔は全く見えず、末端の、無償の市民ボランティアたちが、リスクの高い汚れ仕事を引き受けさせられる。
更に問題なのは、川崎市に代わって手を下しているという自覚が、映画祭事務局と(一部の)ボランティアスタッフに「ない」ということ。
「上映しろという皆さんの圧力には屈しない」という中山代表の他、副代表の女性は、「今、皆さんの前に立って、恐怖を感じています。皆さんが怒鳴りつける。それは言葉による暴力です」(発言の要約)、と。
別の女性(事務局かボランティアか失念)は、このイベントが映画祭主催であり、誰でも歓迎のオープンマイクイベントと銘打っておきながら、「今日はこんなにたくさんの人が押し掛けてきて…」と!
川崎市だけでなく、そもそもこの映画祭の人たちの意識もかなり問題だ…と感じたのは、私だけではないはず。
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この備忘録に書いたように、行政ではなく、映画祭側にも多くの問題があると言わざるを得ない、と感じました。
しかし、報道では、「皆さんの上映せよという圧力には屈しない」という中山代表の発言だけがクローズアップされ(あの発言はもちろん衝撃的でしたが)、イベント終盤で発言された市民ボランティアスタッフの方々の、それぞれの貴重な意見(様々な問いかけを含む)は、主だった報道では、省かれてしまっているのです。
代表とはもちろん、会を代表する立場の人ですが、ノーカット音源に記録されている様々なスタッフの発言を聞けば、ボランティアスタッフの参加意識もまた様々(バラバラ)で、中山代表の発言がスタッフ全員の声を代弁しているとは全く言えない…ということが分かります。スタッフの声は、スタッフの声として、それぞれとても大事な発言なのです。
市民映画祭は、多様な市民の参加を促し、何ごともなければ「お祭り」の楽しさを享受できます。一方で、上映作品が思いがけず炎上した際に、 「リスクのある作品を覚悟を持って上映できるのか」ということが突如問われ 、そもそも「映画祭とは何ぞや」「市民ボランティアとは何ぞや」という問題が沸き起こってくるのです(今回がまさにそうですね)。
今回の事件を教訓に、今後、市民映画祭とはどうあるべきか?を考える際、代表の意見だけでなく、しんゆり映画祭に市民ボランティアとして関わった人たちの率直な声は、大変貴重な資料であると感じました。スタッフの方々によって語られた内容は、しんゆり映画祭だけの問題ではなく、小さな映画祭を主催する私にも、そして各地で市民映画祭を開催する市民の方々にも、有益な問いを投げかけていると感じました。
正直、あそこまで問題が噴出・露呈し、イベントが紛糾し、参加者たちが呆れる…という展開になるとは、私は想像していませんでしたし、参加者・メディアの多くも、予想できなかったのではないかと思います。(ある意味、あのイベント自体が、「ドキュメンタリー」のようだったとも言えます…!)
私は、あのイベントで語られたこと”すべて”が、大きな公益性のある内容だと思い、撮影・録音データをすべて公開するメディアがないならば、せめてわたしのしょぼい録音データを全て公開し、日程的&地理的にイベントに参加できなかった多くの方々に聞いていただき、この問題を共有したいと考え、録音データの公開をしました。
「公益性」の判断もまた、人によって分かれるところではありますが、私はこれは「大きな公益性がある」と判断し、音声データを公開しました。
「公益性」のほか、全音源を公開した方が良いと考えるきっかけが、もうひとつありました。
私はイベント参加中に、TwitterとFacebookで、写真とテキストによる実況レポートをしていました(これは映画祭の「ルール」でも、一般参加者に対して認められている行為です)。
イベントの終盤で、私はこのように実況しました。衝撃的な内容だったため、多くの方にリツイート・シェアされました。
副代表は、呼びかけ人のノンデライコの大澤さんと纐纈あや監督がオープンマイクの最後で「主戦場」の上映を要求するようなシナリオがあったかのような、失礼極まりない発言をしたと私は理解していましたが…。