こんにちは! 現在、編集作業は仕上げの段階となり、編集作業と並行してDVDジャケットの制作をしています。
ジャケットのデザインは、いつもお願いしている冨田吉樹さんに今回もお願いしました。
私は普段、デザインをデザイナーさんにお願いする際には、具体的なデザインのアイデアを伝えることはめったにありません。具体的なデザインの希望をこちらが最初に出してしまうのは、デザイナーの人の自由な発想を阻害してしまうと思うからです。(「この写真を使いたい」程度なら良いかもしれませんが)。
デザインの具体的なアイデアは出しませんが、その代わりに、私がどういう思いでその作品を作ったかという説明を詳しく伝えます。それはきっと、表面には現われなくても、デザインを考える上でどこかに反映されると思うのです。
今日は、私がデザイナーさんに伝えた、この作品に対する思いをご紹介したいと思います。
以下、該当部分のみ抜粋↓
(映像を観ていないと一部分かりにくい記述もありますが、気にしないでください^^)
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■この作品について思うこと
意図したわけではないけれど、最終的に女性ばかりに注目した作品になった。女性が外に出て働くことさえ難しいインドの農村、スカーフを被ることが法律で強制されるイランなどの女性たちと会って、彼女たちが置かれている状況の困難さを思い、無意識的にでも、「女性」に着目したのかもしれない。
とはいえ、この映画は「女性がこんなに大変な状況に置かれています!」という悲惨さをアピールするものではない。私がインド滞在中に出会った女性ドキュメンタリー監督たちは、皆、相当大変な状況であるにもかかわらず、すごくたくましかったから! 私の方が逆に、彼女たちからすごくパワーをもらったように思う。
例えば、40歳の露天商で、なおかつ読み書きが出来ない状態から、映像制作を始めたインドの女性(76歳の今も現役で映像制作をしている)や、政府から禁止されても映画を作り続けるイランの女性。巨大企業・コカコーラを相手に、逮捕・投獄されながらも映画を完成させたインド人女性・・・etc。もし自分だったら・・・?と置き換えて考えると、とてもじゃないけど自分にはできないのではないかと思ってしまう。
でも、そんな彼女たちも、普通に話している時は、とてもお茶目でチャーミングな人たちなのだ。お茶を飲みながら話している時の映像、国営のテレビ局でメイクをしている時の映像は、彼女たちの「素」の姿だ。こんな彼女たちのどこに、あそこまでの強さが宿っているのか?と思う。
なんだか、そういう人が結局「最強」なんじゃないかな?と思った。男性的な力強さとは違う、こういう女性の力強さ・しなやかさみたいなものが、これからの社会を変えていく希望かなと思った。(あ、もちろん言うまでもないけれど、男性が全てマッチョだとか、女性だったら良いとか、そういうのではなく)。
今、私は田舎で空き家暮らしをしていて、600坪もある敷地で、毎日毎日雑草とりで格闘している。取っても取っても生えてくる、どんなところにでも生えてきて、踏みつけられるたびに根っこが強くなっていく彼らに、うんざりするし、その生命力の強さに感動もする。
私がこの作品で出会った女性たちは、まるで「雑草」のようだと思う。もちろん、最大の褒め言葉として。
社会的に権力を振るうような立場にはない、何も持たない、「一般の人」、「普通の人」が、粘り強く、しぶとく、たくましく、カメラを武器に世の中を変えて行こうとしている。彼女たちの姿を見て、励まされる人は多いのではないか。
そういう思いで作った作品です。
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以上が、私がこの作品を編集中に感じた思いです。改めて読み直してみると、撮影時の環境だけでなく、撮影された映像だけでなく、それを編集する際の環境(今回で言えば、田舎の空き家)というのも、その作品作りに大きな影響を与える(与えてしまう)ということです。
もしこれがまったく別の環境で編集作業を行っていたら、きっと雑草との類似点なんて、思いもしなかったでしょう。もしそうなら、きっと編集内容にも、違いが出たかもしれません。
そう考えると、編集作業をするときに、どんな環境にわが身をおくかというのも、かなり重要ですね。(住環境が(一般的な意味で)“良い”なら良いというものでもないでしょう。過酷な住環境で編集するからこそ生まれてくる発想もあると思うし・・・)
まぁ、私は貧乏ですから、住環境を自ら選べる状況ではないのですが、偶然にでも与えられた住環境が、たとえ良くても悪くても、そこからまた何かを感じ取り、作品に良い影響を与えるようでありたい、と思います。雑草のように、しぶとく・・・(^^)